ぶっくさーばんと! 〜沙夜子のおつかい〜

by 蔵月古書店


「うむ、ようやく終わったのじゃ」
 どこからかすい〜っと飛んできた三本足の鳥が、私の肩にとまるなり小さく溜息をついた。
「つかれました。とっても」
「相変わらず要領悪いなお前は。全然なっとらんのじゃ」
「そう言われても、私がんばりましたよぅ……」
「反論は三百年早い。毎度毎度召喚する魔物を決めず、儂に状況判断ばかりさせおって。だいたいな――」
 言葉を話す真っ黒な烏ことガァ子ちゃんは、労うどころか駄目出しの真っ最中。
 からからに乾いた喉を今すぐ潤したいのに、いつになったらこの反省会は終わるのですかぁ? 黒鵺さんはというと、ガァ子ちゃんに他の用を頼まれてこの場にはもういないのです。
「――そんなわけで、儂は先帰る。お前はこの用を済ませてから帰って来るのじゃ」
「はい?」
 ガァ子ちゃんは、いつの間にか足からぶら下げていた手下げを私に押し付けると、翼を広げて飛び去っていった。
 手下げの中を覗いてみると、中には小さな紙きれが一枚入っていた。そこに書いてあるものに心当たりがある私は、溜息をついてそれを手にする。
 ――ああやっぱり。
 それはお買い物リストだった。つまり、私に買い物してから帰ってこいと言っているのだ。
「とほほ……」
 午前零時に始まった今回の仕事は、ふと気が付けば東から朝日の先っぽが見えていた。


「いらっしゃい沙夜子ちゃん! 今日はずいぶん早いんだねぇ!!」
「ええ、まぁ……あはは」
 今になって疲れが出てきた重い足を引きずりながら八百屋へと足を踏み入れると、威勢のいいおじさんが声をかけてきた。
 しかし私の姿を確認するなり、怪訝そうな顔に変わる。
「なんだいその格好は? どこかで乱闘に巻き込まれてきたのかい?」
「は、はぁ……似たようなものです」
 まさか、先刻まで魔物と闘っていましたなんて言えない。私はこの町を影から守る女の子なんですって言っても、まず信じてもらえるとは思えないが。
 あいまいな受け答えをしてから、お買い物リストに書いてある通りのものを買う。
 その後、お豆腐とお味噌を買ってから蔵月古書店へと向かう。
 蔵月古書店は私たちの家だ。ガァ子ちゃんと黒鵺さんがお腹を空かせて待っている――。
「あ……もしかして、朝ご飯を作るのって私なんじゃ」
 買い物リストに書かれていたのは、ほぼ朝ご飯の材料となるものだった。しかし、家で料理ができるのは私ひとりだった。
 魔物退治するのは私、ガァ子ちゃんに怒られるのは私、疲れるのも買い物をするのも朝ご飯を作るのも私。ガァ子ちゃんは少しお手伝いしてくれるけど、基本的には口ばかり。
 損をしているのは、もしかして私だけ?
「あうぅ、お腹空きましたぁ……」
「おはよ、沙夜子ちゃん。今日は早いのね」
 がっくりしている私に、ひとりの女の子が話しかけてきた。
 この町で呉服問屋を勤めている『御色屋ごしきや』さんところのひとり娘で、名前は由比ゆいちゃん。歳は私より五歳年下なのに、私を沙夜子ちゃんと呼んでいる。いつもきれいな着物を着ていて、誰が見ても良家のお嬢さま。大きくなったら帝都の学院に通うのだと、由比ちゃんはいつも自慢している。
 今日は細かい模様が刺繍された赤い着物姿をしており、まるでお人形さんのようにかわいらしかった。
 ただ、心なし目の下にくまができているのが気になる。身体の調子でも悪いのかな。
「由比ちゃんも早いのね」
「うん! 今日はね、お母さまと映写館に連れてってもらうの。楽しみで早く起きちゃった、えへへ」
「へえ、いいな……あら、そちらはどなた?」
「え?」
 ふと、私は由比ちゃんの背中に小さな動物がくっついているのを見つける。
 しかし、それを指さしても由比ちゃんは意味が分からないのか、頭にクエスチョンマークを掲げるだけだった。
「ほら、でもそこに――」
 そう言いかけてはっとする。
 背中にくっついているものを凝視する。それは毛のないしわくちゃの肌をさらしており、身体は骨と皮しか無いくらいにやせ細った動物だった。だけど目はらんらんと輝いていて、獰猛な肉食動物を思わせる。
 それは開いた口から黄色く変色した犬歯を剥き出しており、由比ちゃんの首すじに噛みつこうとしていた。
「ゆ、由比ちゃん!?」
「どうしたの沙夜子ちゃん。変な顔して、私に何か付いてるの?」
 私が声をあげたにも関わらず、それをあざ笑うかのように小さな動物は由比ちゃんの首すじに噛みついた。
 ――餓鬼だ!
 そう思った時には既に手遅れだった。噛まれた由比ちゃんは、その場にがっくりと膝を付いてしまった。
 人間の頭ほどの大きさしかない小さな鬼は、気を失った由比ちゃんから離れようとせず、噛みついたままちゅうちゅうと由比ちゃんの精気を吸い上げている。
「いけない、このままだと由比ちゃんが」
 そう思ったとき、頭に浮かんだのはガァ子ちゃん。そうだ、早くガァ子ちゃんに知らせないと――。
 ――反論は三百年早い。毎度毎度召喚する魔物を決めず、儂に状況判断ばかりさせおって。
「うっ……」
 さっきガァ子ちゃんに言われたことが頭に引っかかる。
 相手は餓鬼一匹だ。しかも、私は以前に一度倒したことがあるのだ。
「ガァ子ちゃんがいなくても……だいたい三百年早いっていったら、私何回おばあちゃんやればいいのよ」
 私は歯を食いしばり、由比ちゃんを抱き上げて建物の影へと運んでいった。
 由比ちゃんは気を失っていて、さっきよりも顔色が悪くなっていた。餓鬼は今も彼女に喰らい付いており、私が近くにいるのに動じようとしなかった。目の前にいるのは、何の力もない女の子に違いないとたかをくくっているのだろう。
「えっと、餓鬼を退治する魔物は……」
 前に喚んだ魔物を思い出しながら、懐から取り出した本『遠野霊異記とおのりょういき』をぱらぱらめくる。遠野霊異記とは、先祖代々から伝わる魔物を封じ込めた本だ。私の一族は、その本に封じ込めた魔物を呼び出し操ることで強大な力を得ることができ、現世うつしよに出でた邪悪な者たちから人びとを守っている。
 魔物を召喚するには、本に書かれた「うた」を用いる。詞を呼んでいる間は特定の魔物を現世に召喚でき、召喚した者の思い通りになるのだ。
「あった、『地獄の番犬』。門を護りし三つ首の犬よ、勇ましき顎は獅子を噛み砕き滴る涎で……きゃっ!!」
 遠野霊異記に書かれた詞を口にした瞬間、餓鬼は私の方を向いて唾を吐きかけてきた。
 それは緑色をした粘着質の液体で、私はとっさに身体を反転させる。
 とっさに避けたために唾は私を逸れて、背後にある建物の壁にべちょりと張り付き、しゅうしゅうと音を立てながら白い煙を吐いた。
「あわわっ……」
 ――ああ、牛鍋屋さんごめんなさい。トレードマークの牛さんが溶けてしまいました。でも、牛鍋に使う肉牛は白黒模様では無いと思うんです。
 きしゃーと声をあげている餓鬼は、もう由比ちゃんには目も暮れず私に向かって敵意を露わにしていた。これで魔物が召喚できれば今すぐにでもやっつけられるのだが、今は迫ってくる餓鬼を避けるだけで精一杯だった。
「く、黒鵺さんっ!」
 そうだ、黒鵺さんさえいれば――。
「ううん。そんなこと言ってるからガァ子ちゃんに怒られるんだっ! とりあえず、由比ちゃんから離れて……」
 由比ちゃんを襲わなくても、これからにぎわってくる路地に出るわけにはいかない。
 私は建物の間を走り抜ける。時折置いてあるゴミ袋や木箱を飛び越えて、壁から出ていた釘に袖を引っかけるが、そんなことに構っていられなかった。懸命に遠野霊異記に書いてある一節に目を通す。詞は強力な魔物に比べて短いものだった。
「きゃっ、熱っ!?」
 追いかけてくる餓鬼が吐いた唾が、壁を跳ね返って私の腕に落ちる。しゅうと音を立て肌を焼く感触に、私は思わず声をあげる。すぐに袖で拭いたものの、その火傷はしばらく残りそうだった。
「お、乙女のお肌を……許しませんっ!」
 びたっと立ち止まり、きびすを返して餓鬼を指さす。
 しかし餓鬼が私の怒号に反応するどころか、私が立ち止まったことに嬉々とした声をあげる。勝利を確信した表情で足を踏むと、こっちに向かって飛びかかってきた。
「あ、あれ……きゃああっ!!!」
 ――だめ、やられるっ!?
 もうどうすることもできなくて、私は遠野霊異記を頭の上に掲げてしゃがむ。
 それでどうにかなるとは思っていないけど、何も考えられない以上、そうするしか浮かばなかった。
 ばしぃぃっ!!
 その時、頭の上にある遠野霊異記が身震いしたような振動と共に、何かが爆発したような音がした。
 その直後、餓鬼が悲鳴をあげながら、ぽてりと私の目の前にぶっ倒れてしまった。
「これって、まさか……」
 ──遠野霊異記が私を護ってくれた!?
 頭を覆ったのは偶然だったが、魔物を封じ、契約する者の詞に応じて魔物を操る本は、飛びかかってきた餓鬼を弾くように跳ね退けたのだった。
 その威力は相当なものだったようで、倒れた餓鬼は目を回しており起き上がる気配は無い。
 状況は把握できたものの頭がそれを飲み込めていなくて、私はしばらく倒れた餓鬼の姿を見ていた。しかし、まだ危機は終わっていないのだと思い返して、遠野霊異記を開いてさっき目を通した詞を読み上げる。
「門を護りし三つ首の犬よ、勇ましき顎は獅子を噛み砕き滴る涎で死に至らせん。天に唸れ地を掻き毟る、主には忠誠、主に反目する輩に牙の制裁。怪留戸護巣に叶う者は無し。門を護りし三つ首の犬よ、勇ましき顎は獅子を噛み砕き滴る涎で死に至らせん――」
 ――お願い、出てきて。
 その時、私と餓鬼の間に漆黒の闇が生まれる。
 その闇から、うなり声が聞こえたかと思うと、のっそりと首が三つある真っ黒な犬がはい出てきた。
 ──やった。私、ひとりでできた。
 よろこびの声をあげようとしたが、途中で詞を止めるわけにはいかなかった。
「門を護りし三つ首の犬よ!」
 『地獄の番犬』は、振り返って私の方をちらりと見てうなずくと、地面に転がっている餓鬼に向かって牙を剥いたのだった。


「遅いっ!! 買い物にどれだけ時間かかっているかっ!!」
 蔵月古書店に帰ってきた私を出迎えたのは、お腹を空かせたガァ子ちゃんの雄叫びだった。
「仮にも神の使いたる儂の腹を空かせるなど、無礼千万にもほどがあるのじゃ!」
「だ、だって……魔物が現れたんですよぅっ!」
「そんなの、ぱぱっとやっつけるのがお前の役目じゃろっ!!」
 しかもさっきの餓鬼と変わらないくらい凶悪な顔してますよ、ガァ子ちゃん。
 黒鵺さんやガァ子ちゃんの手助け無しで魔物をやっつけられたのは、私にとって大きな第一歩だった。それを報告しようとしたのに、ガァ子ちゃんは聞く耳持たずだった。
 部屋の隅には、壁にもたれた黒鵺さんがぼんやりとした顔でお茶をすすっていた。時おり何かを言おうとしていたが、ガァ子ちゃんの声でかき消されてしまっている。
「ごめんなさい。すぐに支度しますぅ……とほほ」
 せっかくひとりで解決できたのに、誰もほめてくれる人はいないのですね。
 天国のおじいちゃん、泣きたい日もあるけど私は今日も元気です――。
「そうだ。お前のじじぃから手紙が来ておったのじゃ。あの妖怪じじぃ、まだ若い娘の尻追っかけてるらしいぞ」
「そうですか。ええ、そうでしょうね」
 私には、感傷に浸れる余地さえ与えられていないようです。

(つづく?)